2008/10/03
「戦後教育の垂れ流す害悪について」 w。「日本は単一民族」w「日教組の強いところは学力が低いんじゃないか」文教族のドンは森喜朗大先生でいらっしゃりますが何か?電波土建右翼Wドゲンカセントイカンネ
「日教組(日本教職員組合)の強いところは学力が低いんじゃないか」
http://black.ap.teacup.com/despera/339.html
2008/9/27 「戦後教育の垂れ流す害悪について」
さて、中山成彬国土交通相のお戯言である。成田空港の整備方針に関して、「ごね得というか、戦後教育が悪かった。自分さえよければという風潮の中で、なかなか拡張もできなかったのは残念」 一通り怒ったあとで、ハタと考え込んだのである。「戦後教育が悪かった。」では、三里塚空港問題で、戦後教育を受けた結果、「悪かった」というのは、一体、誰のことなのだろう?
三里塚闘争の、闘いを始めた人々の名前を検索し、生年が確認できるものを拾ってみた。大木よね 1907年生まれ 戸村一作 1909年生まれ 若手のほうで 熱田一 1920生まれ 北原鉱治 1922生まれ
「戦後」というときのは、普通は1945年に終わった戦争を指すと思われるが、1945年にはこの中で一番若い北原鉱治も23歳。三里塚闘争の、どこらへんにどう「戦後教育」が係わり合いがあるというのだろうか? 中山成彬の言う「戦後教育の結果、自分さえよければという風潮」の人とは、一体、どのような世代のことをさすのか?
http://www.nakayamanariaki.com/profile/index.html 中山成彬 昭和18年6月7日生小学校に入学が昭和25年、東大卒業が昭和41年。中山成彬こそが、「戦後教育」の第一世代だったのである。
この人、ラサール高校→東大法学部→大蔵省→代議士→大臣 という、戦後の公教育体制のなかではこれ以上はないという至上のエリートコースを歩んだ人物なのである。これだけ脳味噌スカスカの大馬鹿野郎の、人前で喋らせたらあかんレベルの抜け作が、至上のエリートコース歩んで天下国家を担う大臣になってしまうというのは、確かに、戦後公教育体制の極めて重大な欠陥というしかないであろう。
もうひとつの「失言」を見てみよう。「日本は単一民族」。中曽根首相が1986年に同趣旨の発言して、大問題を引き起こしたことを、こいつは知らなかったのだろうか? 同じくプロフィールを見てみよう。
昭和61年 衆議院初当選 こいつは、自分が国会議員に初当選したときに、どういう問題が起こっているのかを知らなかったのだろうか?
北海道ウタリ協会がこの件で抗議をしている。
ウタリ協会の加藤忠理事長は「驚きだ。同じ発言が再三再四出ており理解に苦しむ。どういう意図なのか」と不快感を示したのに対し、中山氏は「舌足らずの発言で不快な思いをさせ、おわびしたい」と謝罪した。
http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008092601000784.html
なにがどう「舌足らず」なのかさっぱりわからないが、これもやはり戦後教育の害悪に毒された中山成彬なのでしかたがないのだろう。こいつは更に宮崎で念を押してタワゴト吐いている。
大臣になって一番大事な仕事は、美しい古里と、安心・安全で住むことができる国土を子や孫たちにバトンタッチすること。
三里塚の農民も、美しいふるさと、安心・安全で住むことができる国土を子や孫たちにバトンタッチしたかったであろう。それを不可能に追い込んだのは、一体誰なのか。
追記 朝になったら辞めとった。このおっさん、大臣在任期間5日のうち、3日失言ゆうとってんな。
日本の文教族のドンは森喜朗大先生でいらっしゃります。
大臣になって一番大事な仕事は、美しい古里と、安心・安全で住むことができる国土を子や孫たちにバトンタッチすること。Wルーズベルトも同じ事言ってるが宮崎のアホが言うとね意味が。。。。土建屋
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿