2008/07/01

亀井勝一郎、小林秀雄、河上徹太郎などが、現代風にいえば市場原理にもとづく「ネオリベ」を近代の人間疎外として否定し、「グローバリズム」に対して「アジア的共同体」を対置する。著者も指摘するように、こうした言説は今日も「東アジア共同体」として再生産されている




亀井勝一郎、小林秀雄、河上徹太郎などが、現代風にいえば市場原理にもとづく「ネオリベ」を近代の人間疎外として否定し、「グローバリズム」に対して「アジア的共同体」を対置する。著者も指摘するように、こうした言説は今日も「東アジア共同体」として再生産されているが、それが侵略戦争を追認する論理として「大東亜共栄圏」などに悪用されたことは否定しようがない。

しかし、こうした西欧近代への違和感が繰り返し語られるのは、理由のないことではない。社会を個人に分解し、利己主義を肯定する経済システムは、人々の「利他的な遺伝子」に反するからだ。日本でも、福沢諭吉の国権論は李氏朝鮮を倒そうとする朝鮮独立党と連帯するものだったし、北一輝の「東洋的共和政」は中国の国民党を支援する思想だった。大川周明はガンディーとともにインド独立のために闘い、コーランを全訳した。戦前の知識人は、ビジネスベースで「アジア重視」を語る今日の財界人より、はるかに深いレベルでアジアと連帯していたのだ。
Posted by Picasa

0 件のコメント: