- 八木が総裁を務めた内閣技術院は、立ち遅れていた日本の科学兵器開発を指導する中心的存在となるべき組織であり、総裁の八木自身、熱線誘導兵器の研究を推進していた。同研究は技術者の井深大と海軍技術将校の盛田昭夫が出会い、戦後ソニーを創業するきっかけとなった。
- 敗色濃厚となった1945年には衆議院予算委員会で質問に応え、「技術当局は『必死でない必中兵器』を生み出す責任があるが、その完成を待たずに『必死必中』の特攻隊の出動を必要とする戦局となり慙愧に耐えない」との大意の答弁を行っている。これを聞いて委員会出席者中には涙する者もあったとの当時の報道がある。精神主義、特攻隊賛美ばかりが横溢する戦時下にあって、科学技術者としての勇気を示した発言として名高い。
2007/05/29
慙愧に耐えない=用例集=成蹊卒のシンゾーには一寸無理か?
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