2007.09.29
ミャンマー暴動メモ
ミャンマー情勢は率直なところまるでわからない。なので、この件についてはノイズのようなものをブログで流すのはよくないのではないかとも思っていたが、これだけの騒ぎになるのだから、時代のログとして少しメモを残しておきたい。
まずミャンマーの政治状況についてなのだが、このブログでは3年前こ「極東ブログ: ミャンマーの政変、複雑な印象とちょっと気になること」(参照)で触れたことがある。この構図が今回の情勢の背景にもつながっているだろう(つまり軍内部の問題があるだろう)と思われるのだが、そうした背景まで含めた報道は、今回の騒ぎを報道するメディアではあまり見当たらないように思える。
全体構図からこの騒動を見て、誰が利して誰が困惑するかとだけ問えば、英国が利して、中国が困惑するとなるだろう。つまり大筋としてこれは中国潰しということだろうか。困惑の度合いは、毎日新聞記事「ミャンマー:中国、対応に苦慮 資源確保か国際世論か」(参照)あたりが概要を伝えている。
中国は、ミャンマー西部から中部マンダレー経由で中国雲南省を結ぶ全長1500キロのパイプライン計画をスタートさせた。現在、輸入石油の8割をマラッカ海峡の海運に頼っている中国にとって、パイプラインは有事の封鎖が懸念される海峡を迂回(うかい)する安全弁だ。
ちなみにこの懸念される有事封鎖が何を意味するかについては、このエントリでは特に言及しないことにする。そりゃもう。
中国は現在、胡錦濤革命の詰め(中国共産党規約改正)を行う10月15日開幕第17回党大会を前にしているので、いろいろざわつきがあるのは当然だが、 こういう内政の状況は日本側のシンパにもいろいろシグナルを送るのが慣例なので、そのあたりの線をちらほら読んでみると、ミャンマー軍政を抑えろという話 が出ている。これまでのミャンマーと中国の関係からすれば、中国はミャンマー軍政に武器供与も行っているくらいなのだから、そのシグナルは少し不思議にも 思える。ミャンマー軍内部の亀裂に対応しているのだろうか。などと、考えるとどうにも陰謀論臭い。
ついでなんで、他の国のシフトで見ていくとASEANは総じて困惑しているが、インドは奇妙な沈黙をしている。在インドのダライラマは仏教徒ということ でミャンマーの僧侶を明確に支持しているのだが、仏教徒の多いはずの日本の仏教徒は沈黙しているっぽい。英国が利するという線から考えるとインドもなんか ありそうな感じはする(スーチーもインドと英国に縁が深い)。しかし、こうした憶測は現時点では、いずれもはっきりと見えてこない。
報道面から見た今回のミャンマーの騒動だが、日本を含め西側報道でも、軍政対民主化、という構図を描いている。が、その先兵が僧侶というのが、今一つ腑 に落ちない。僧侶は保守的であまり政治に関わらないものだからだ。しかし、仏の顔も三度までというか、堪忍袋の尾が切れて、民衆の困窮に怒りを発し、民主 化のために立ち上がった、ということなのだろうか。
そのあたりのミャンマー仏教徒の心情が知りたくネットを眺めていると、ミャンマー関連ニュースというサイトに「全ビルマ僧侶連盟連合声明(4/2007号 2007年9月21日付)」(参照)という文書を見つけた。表題通り「ビルマ語国際放送などを通じて発表された、全ビルマ僧侶連盟連合の9月21日付の声明」ということなのだが、それが本当なら、現地状況を伝える一級資料になるはずだ。
全ビルマ僧侶連盟連合
4/2007号声明
2007年9月21日
国民への勧奨ミャンマー・パコック市の僧侶らを縄で縛り拘束し虐待したことをきっかけに、ミャンマー国内外の僧侶らは、不受布施の抗議を行ない、非暴力と慈愛 の精神から、宗教的自由の問題と国民の生活・健康などあらゆる面で困窮している問題をSPDC軍事政権が平和的に解決することを求め、祈りながら行進して いる。
国民が直面し苦しんでいる困窮を早急に解決できる道である、自由で正義を備えた真の民主主義体制を要求するため、学生、市民、労働者、農民、公務員、会 社員、国軍兵士、武装組織を含むすべての国民が、参加し行動することが重要な時を迎えており、きたる2007年9月24日(月)午後1時から、僧侶ととも に、モラルを持って非暴力的方法で、自身の権利を自ら要求することを勧奨する。全ビルマ僧侶連盟連合
民主化への要望は強く出ているが、それよりミャンマー・パコック市の僧侶ら虐待への抗議が先行していると読める。
だが、報道から見ていると、石油価格の高騰を受けて8月に始まったとのことだった。そのあたりの関係はわかりづらい。
アムネスティ「ビルマ(ミャンマー):【緊急行動】拷問または虐待の恐れ/健康への懸念 」(参照)では、このいきさつをこう記している。たぶんこれが正しいのだろう。
背景情報
平和的なデモは、石油価格の高騰を受けて8月に始まった。デモの規模や参加者は急激に拡大した。パコックの町で僧侶が治安部隊により傷つけられたという報 道を受けて抗議行動を指導しはじめた僧侶たちは、生活必需品の値下げ、政治囚の解放、深刻な政治的対立を解決するための国民融和のプロセスを求めている。
最初に石油高騰のデモがあり、続いて僧侶虐待があり、そして僧侶が立ち上がりという連鎖から今回の事態になったようだ。
その線で報道を見直すと、8日付産経新聞記事「ミャンマー 僧侶も“決起”デモ拡大 物価高騰、市民困窮」(参照)がよく整理されているようだ。
8月19日に最初のデモ行進がヤンゴン市内で行われたときは、その規模は比較的小さかった。民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさん率いる国民 民主連盟(NLD)の主導で行われ、主婦も参加し、数十人が連日市内を練り歩いた。いずれもプラカードを掲げることもなければ、シュプレヒコールもない、 時折手をたたく程度の静かなデモ行進だった。
しかし、中部マグェ管区のパコックで5日に発生したデモは違った。現地からの情報によれば、治安部隊は僧侶300人が参加したデモを阻止しようとして威 嚇のため発砲。乱闘騒ぎの末、3人の僧侶を拘束した。しかし、暴行を受けた僧侶側も、治安当局者ら13人を軟禁するなどして反発を強めた。6日に治安当局 側が謝罪し、双方とも拘束者を解放したが、緊迫した事態が依然、続いている。
ミャンマーの外交筋によると、保守的な僧侶がこれだけ大規模デモを組織した例は過去になく、1988年8月、ネ・ウィン体制に反発したゼネスト参加以来 のことだという。同外交筋は「僧侶の参加はヤンゴンで数十人程度だった。元来、僧侶は自制心も強く、政府に反発しても行動には出さない。今回は市民が困窮 する姿を見て平和理にデモを進めたのに、仲間を拘束され、僧侶側は反発というより“決戦”に近い感情を持った」と指摘する。
僧侶への虐待がいつもの小競り合いに火を付けたということのようだし、今回の騒動のカギはこの5日のパコック市の状況にありそうだ。
ついでに気になる関連の話。
まったく関係がないと言えばそうなのかもしれないのだが、8月14日にミャンマーと北朝鮮は平壌で協力合意書を締結している。8月14日聯合ニュース「北朝鮮とミャンマー、外務省が協力合意書締結」(参照)より。
北朝鮮とミャンマーの外務省が14日に平壌で協力合意書を締結したと、北朝鮮の朝鮮中央通信が伝えた。両国の外務省次官が署名したとだけ伝え、具体的な内容は明らかにしていない。
北朝鮮とミャンマーの関係は、83年の「ラングーン事件」(参照)による断交に遡る。ネットを見ると4月11日付け中央日報「北朝鮮・ミャンマー、約23年ぶりに国交回復へ」(参照)が詳しい。
外交筋は「地球上で最も閉鎖的な国家とされる両国の国交回復は、兵器・食糧・天然ガスなど資源の貿易を進めるためのもの」と分析。国交回復が実現する場 合、ミャンマーは北朝鮮との軍事交流が可能になり、北朝鮮は慢性的な食糧難を解消し、ミャンマーの豊かな海洋資源を利用できる、と期待しているとのこと。
今回の騒動でミャンマーの民主化が進めば。このあたりの関係も変わってくるのかもしれない。
もう一点、28日付でこんなニュースが出てきた。国内的には今日付毎日新聞記事「ミャンマー:少数民族の村消される 米衛星写真」(参照)が伝えている。
全米科学振興協会(本部ワシントン)の科学・人権プログラムは28日、ミャンマー軍事政権による少数民族カレン族の迫害 の様子を衛星写真で追った報告書を公表した。00年から今年にかけて撮影された商業衛星写真を比較し、同国東部のタイ国境に近いカイン(カレン)州で、一 般住民の家々と見られる構造物が完全に破壊されたり、ミャンマー国軍の基地が拡大されている様子などを明らかにした。
今回の騒動とカレン族の動向もわからないところだ。newsclip.be25日付タイ発ニュース速報「ミャンマー軍政、主要2都市に外出禁止令」(参照)よると、むしろ軍政はそれどころではないといったふうでもある。
ミャンマー軍事政権は25日夜、最大の都市であるヤンゴンと第2の都市マンダレーで午後9時―午前5時の外出禁止令を発令し、両市を軍司令官の管理下に置 いた。また、東部国境で少数民族、カレン族の反軍政組織と対じしていた部隊などを撤退させ、ヤンゴンに送り込んだもようだ。タイ字紙クルンテープトゥラ キット(電子版)が25日、報じた。
同サイトには、23日付で「タビクリ 忘れられた戦争」(参照)という興味深い記事があり、こう締められている。
今回の旅で、終わることのない戦争に、少し変化が見えたという。タイ政府がカレン族など少数民族との接触を頻繁にし始めたというのだ。軍司令官当時にカレン族に同情的だったというスラユット・タイ首相のせいか、それともミャンマー情勢に何かが起きつつあるのか。
まあ、何か起きつつあるのかもしれない。