2007/10/19

要点編集=やっぱ東大名誉教授号とノーベル賞は朝鮮カルトにはチョット無理かな?







福本潤一
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福本 潤一(ふくもと じゅんいち、1949年3月23日 - )は、前参議院議員(2期)。無所属(2007年公明党を除名)。広島県広島市南区出身。

[編集] 来歴・人物
学歴
広島市立宇品東小学校、広島市立翠町中学校、修道高等学校東京大学農学部卒業。同大学大学院修了し、農学博士号取得。専門分野は地域環境工学。その後、助手として愛媛大学農学部に赴任。助教授まで至る。途中、情報処理センター農学部分室長、連合大学院教官を勤める。
政界入り
1995年第17回参議院議員通常選挙比例区新進党から初当選。その後新進党解党に伴い、公明党に移る。当選2回。 主に、農業や環境分野を得意とし、『水利の風土性と近代化』等の著作がある。新進党愛媛県連会長、参議院災害対策特別委員長、農林水産大臣政務官を歴任。 参議院農林水産委員会行政監視委員会に所属していた。公明党を離党する直前は、党役職として党副幹事長、党四国方面副議長、党愛媛県本部顧問等を勤めていた。
異例の公明党離党届提出、そして公明党除名
党の公認を得られなかった(福本本人の公式ホームページによると、本人の元政策秘書の葬儀が日蓮正宗の寺院で日蓮正宗の僧侶が導師になって執り行われたことについて神崎武法元代表と冬柴鉄三元幹事長より上司としての監督責任を問われたことが理由と説明)ことから、2007年7月の第21回参議院議員通常選挙には出馬せず、引退することが決まっていた。ところが、同年6月15日に引退を撤回し公明党を離党届を提出、他の政党から比例区候補者として出馬する方針へ転換した。公明党は同日、北側一雄幹事長が記者会見を開き「党と支持者に対する裏切り」と批判。福本と数回接触した民主党も擁立に難色を示していた。公明党の現職国会議員が離党するのは、1997年にセクハラ事件で最高裁判所において敗訴が確定した責任を取った片上公人以来10年ぶりとなる異例の事態。福本は5月14日国民投票法の参議院本会議採決も欠席していた。6月18日、公明党は福本の離党届を受理せず、党規違反を理由に除名処分とすることを決定した。
当初は野党の比例区からの立候補を模索していたが、他党も難色を示したので、広島選挙区(改選数2)から無所属で立候補し、前職でありながら6名中6位(得票数・2万1956票)で落選、法定得票を割り込み供託金没収の結果に終わった。
福本が公明党の公認を得られなかった理由とされた「元政策秘書の葬儀形式が理由」が事実であるとすれば、日本国憲法第20条に定める信教の自由政教分離原則に真っ向から反するのではないかとの指摘も一部では為されている。
また、福本は公明党除名後、週刊誌のインタビューの中で池田大作創価学会名誉会長に対し、福本の母校である東京大学の名誉教授号を授与されるよう、働きかけを東大当局に行うよう創価学会幹部から指示された、とも語っている(この件について創価学会側からの回答はないが、2007年現在、池田大作が東京大学名誉教授号を授与されていないのは事実である)。
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