2008/04/05

廓と女衒のグローバル資本主義





< どこへ 行く 娘たち >

結論

兜町と歌舞伎町、 どちらの金が 薄汚いか?


株式持合制度の復活で、財界仲良しクラブも再興と伝えられる。
会議費や交際費を使い放題だったDNAは絶えることなく新世代に継がれるだろう。

かつてサラリーマン重役や御用組合の幹部が、会社の経費を使って銀座や赤坂で暴れまわった時代。
飲み代の請求書は経理部に送ってもらった。
高級クラブのホステスは〝売り上げさん 〟と称する個人事業主のような歩合制従業員と〝 ヘルプ 〟と呼ばれる固定給従業員に 分かれる。
〝 売り上げ 〟のホステスは、顧客が高い酒をバンバン飲んでドンちゃん騒ぎに明け暮れようと、飲み代金を後日に回収しないかぎり、その分は自分が立替払いしなくてはならない。

ところで馴染み客だった重役さんが、人事異動や派閥抗争などで失脚すると、溜まっていたツケを踏み倒されることがある。
ホステスがいくらお願いしても、そのうち、そのうちと逃げ回って払ってくれない。
立替え金がふくらんで、足の早い金に手をつけたり、ソープランドに行って身体で借金を返そう、なんて思いつめてしまう娘も出てきてしまう。

ここに登場する便利屋がスカウトである。
スカウトは売れっ子のホステスを他店に移籍させることで、彼女のファイナンスの面倒を見る。
〝 売り上げ 〟のホステスは借金を背負っているけれども、馴染み客という〝のれん代 〟 ⇒ 無形固定資産を保有しているからだ。
スカウトは彼女の所属店に立て替え払いすることで〝 債務奴隷 〟 から開放してやり、次に移籍させる店の前借り金や支度金で回収する。

この前借り金をバンスという。
すなわちバンスとは業界用語でいう前借り金のことで Advance money の略なのである。
バンスの返済金額は、彼女 ⇔ スカウト ⇔ 店の力関係で変化する。
株式市場でいうならば下方修正条項つき新株予約権を思わせる関数である。

店サイドから見れば、新規客と新人ホステスを同時に獲得することで、業容拡大が期待できる。
M&Aで、売り上げの飛躍的増大を図る、新興市場のベンチャー企業にそっくりではないか。

バンスの先祖は古くから遊郭や花柳界の慣習にあった〝住み替え 〟といわれる。
そしてスカウトの先祖は女衒( ぜげん )である。
女郎を借金漬けにした遊郭の楼主は、与信管理に不安を覚えたとき、同業他社への転売を女衒に相談する。

昭和初期までの売春婦考
娘を金に代えた時から、困らば娘を担保になんぼでも金が入る、金の成る木だと思い込む。
息子の労働力より娘の方が入る桁が違う、娘は身上神だという親もいた。
娘を売った金で呑んだくれる父親。
娘はたとえ年季が明けても親には知らせず、女将に口止めして他所に去って行くのもいた。
娘が親を見限り捨てる。
親は血眼になって娘を探す……。
「昭和遊女考」より(竹内智恵子:未来社、1989.7)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4624500830.html

まさに債権の証券化商品( CLO:Collateralized Loan Obligation )とみなせよう。
商品としての女郎は Alternative invest vehicle であり、女衒を現代風に訳せば Asset allocation consultant である。
相談を受けたアセット・アロケーション・アナリストは、顧客を「 他店に住み替えれば、償還期限は伸びるが、追い貸しが可能である 」 と口説く。
こうして実家の父母から再三の仕送りを懇願された薄幸の女性たちは、続々と〝バンス 〟を増やしてしまった。
住み替えをすることで彼女の借金は増えるが、以前の楼主は貸付金回収で安堵し、口入れ屋は斡旋手数料を徴収できる。

親子ダブル上場された子会社株の暴落に泣く個人投資家を、どこかで見たことがある。
親父が博奕の負けでつくった借金を、身体で返す娘たちにそっくりだ。

子会社の株主資本を〝 娘の身体 〟に置き換えていただきたい。
個人投資家= 娘の身体 でも同じような意味を持つ。
わが国の証券取引所は戦前までの吉原の遊郭か?

女衒が連れてきた小娘を遊郭で働かせ、寄ってたかって喰い尽くす……。
遊郭の亭主あるいは実家の欲ぼけ親父が、娘の身体を転売する方法で、借金を増やしていくのだ。
吉原の大籬(おおまがき)で御職(おしょく)を張った娘の多くは性病を患い、千住の浄閑寺(じょうかんじ)に投げ込まれて無縁仏になったという。

昭和遊女考
女将に会って借金するとき、娘には会わず女将から金を受け取り、借用証を書いてもらい、拇印を押して帰る。
娘をとび越え、親と女将の間で借金の貸借がなされ、娘はただ、借金の額が増えたのを知らされる。
貧しい暮らしの中で、いつも人の顔色ばかり窺う気弱な卑屈な父が可哀想になり、なんぼでも稼いでやる、
おらの稼ぎで父が楽になればさぁ。
「昭和遊女考」より(竹内智恵子:未来社、1989.7)
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