2008/04/16
自明な〈生活世界〉を生きる者達が「我々」の便益のために〈システム〉を利用するようになる--これを「近代化」という。やがて〈システム〉が全域化して〈生活世界〉が空洞化する--これを「ポストモダン化」と呼ぶ。
■60年代に明らかになったと述べた。昔は隠されていた多元的現実やシミュラクルの乱舞が突如明らかになったのではない。そうでなく60年代から70年代への変わり目あたりで、近代社会がモダン(近代過渡期)からポストモダン(近代成熟期)に変化したのだ。
■要は「期待の地平が変わった」のだ。自明な〈生活世界〉を生きる者達が「我々」の便益のために〈システム〉を利用するようになる--これを「近代化」という。やがて〈システム〉が全域化して〈生活世界〉が空洞化する--これを「ポストモダン化」と呼ぶ。
■ポストモダン化すれば、自明な「我々」の輪郭が崩れ、誰もがそう思う筈だ(と皆が思う筈)という期待の地平が縮む。すると「そういう見方もあるが、ああいう見方もある」という風になる。相対「主義」者になるのではない。事物が相対的になるのである。
■だがそうなれば、複数の立ち位置によって分岐する多元的現実の束を提示することで、緩やかな「メタ真実」を示唆できる。分かりやすく言えば「そのような多元的現実に分岐した社会」「そのようなシミュラクルの乱舞がある社会」を示唆できるということだ。
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