2008/02/29
リスク論と未開社会と現代社会=エクストリーム・謝罪(えくすとりーむ・しゃざい)とは
未開社会の心性が、何かがタブーであり危険であると信じ込む一方で、他のより大きなリスクには平然としている「偏って間違った信じやすさ」であると決め付けて、自分たちのリスクへの対応は科学的であると安心している人は、さすがにいないと思うけれども、それなら現代の社会は未開社会と変わらないのか?あるいはむしろ、リスクに敏感になった20世紀後半以降の社会は未開社会に近づいているのか?というような問いは、意外に深い問いである。
最近のニュースではもう日常的になった、食品の賞味期限を偽装したのが発覚して、記者会見でフラッシュがたかれるなか、責任者が三人並んで頭を下げる光景は、我々が見ても異様だけれども、これを後世の歴史学者や人類学者が見たら、いったい何の儀礼であると考えるのだろうか。三人並んで虚空に向かって頭を下げることと、食の安全が確保されることと、どういう因果関係があるのだろうか? これは未開社会に特徴的な迷信ではないかといわれたら、私たちはどう答えればいいのだろうか?
エクストリーム・謝罪(えくすとりーむ・しゃざい)とは、プレイヤー自らが作成したストーリーに従って、他者に迷惑をかけ、でっちあげの会見でどのくらいの怒りや顰蹙(ひんしゅく)を買えるかを競うスポーツ。全世界で行われている。詫びや寂びなどの不必要な要素を排除してスポーツ化された。日本大会では土下座や切腹などもアレンジされて含まれる。
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