2008/09/19
ロバート・ラベットいわく当時の財界はガルブレイスを一流の”小説家”と見なしていた。=「キング・メーカー」ロバート・ラベット vs 「経済学の巨人」ジョン・ケネス・ガルブレイス=リーマン終了で決着でんなWW「ロックフェラー帝国の終わり」
業績
20世紀においてその著作が最も読まれた経済学者といっても過言ではない。終身教授であったハーバード大学において教鞭をとった1934年から1975年にかけて50作以上の著書、1000を超える論文を著し、またフランクリン・デラノ・ルーズベルト、ハリー・S・トルーマン、ケネディ、リンドン・ジョンソンの各政権に仕えた。1961年にはケネディ大統領はガルブレイスを駐インド大使に任命し、彼は1963年までその任にあった。ロバート・ラベットいわく当時の財界はガルフレイズを一流の”小説家”と見なしていた。
アメリカ経済学会の会長を務めたこともあったガルブレイスであるが、その主張は主流派(古典派的)経済学者からは偶像破壊主義者的に見做されることも多い。その理由としてはガルブレイスが経済学の数学的なモデリングを忌避し、平易な記述の政治経済学を指向していることが挙げられる。またさらに進んで、彼の論理が確固とした実証研究に基づいていない、と批判する経済学者も少なくない。彼は進歩主義的価値を重視する古典的な意味でのケインジアンであり、文筆の才にも恵まれている。彼の著作には、経済学上のトピックを扱った数多くの通俗的な著書(うち数冊は1950年代、60年代のベストセラーとなった)が含まれ、その中で彼は、経済学上の理論が必ずしも実生活とうまく調和しないことを説いている。
2004年に出版され、高い評価を得た彼の伝記"John Kenneth Galbraith: His Life, His Politics, His Economics"は、彼の経歴と思想に関する新たな関心を呼び起こした。
オルタナティブ通信
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2008年08月07日
米国の闇の支配者たち 第二次世界大戦中、日本が中国侵略を行う資金を貸し付けたのが、リーマン・ブラザースという銀行であった。この銀行の会長エイブリル・ハリマンが、社長を務めている銀行がハリマン銀行であった。この2つの銀行は事実上、同一企業であり、ハリマン銀行の共同経営者が現大統領の祖父、プレスコット・ブッシュであった。日本に対し「どんどん中国侵略を、やりなさい」と、資金を貸し付けた、ブッシュの銀行リーマン・ブラザース=ハリマンの、取締役ロバート・ラベットは、米国・戦争省の次官であった。大統領・戦争省長官・戦争省次官。つまり戦争を実行する3番目の「決定権の持ち主」がラベットであった。ハリマン=リーマン・ブラザースの日本への「戦争資金の提供」は、米国の戦争実行責任者のNo.3が、日本に中国侵略資金を貸し付けた事と、同一の意味を持つ。つまり米国・米軍自身が、日本の中国侵略にOKを出していた事を意味する。 1940年代に入ると、米国内では突然、「日本の中国侵略は、ケシカラン」と、日本との戦争開始を強く主張する動きが出てくる。米国上院・下院議会で、この対日開戦論を強く主張し、演説を行ったのが、このラベットであった。「自分で資金融資を行い、日本に中国侵略を行わせた張本人が、議会で、日本は、ケシカラン」と演説し、日米戦争開始を訴えたのである。日本が膨大な資金と労力で維持・建設した満州帝国の領土と、満州鉄道を、米国が「欲しくなった」と言うのが本音であった。ハリマン銀行は、全米の鉄道網の過半を支配する銀行であり、満州帝国と満州鉄道を日本に建設させ、完成した後に、日本から奪い取る目的で、最初からラベットは日本に中国侵略資金融資を行っていた。日本への戦争資金融資は、鉄道王ハリマン銀行の「満州鉄道投資ビジネス」であった。 第二次世界大戦の結果、日本、東南アジア諸国は事実上、米国の支配下に入った。この「偉大な功績」によって、ラベットは米国政界の「キング・メーカー」=影の支配者となる。 米国の政策形成の大部分は、大統領直属の国家安全保障会議が決定権を握っている。この「表側」の国家安全保障会議に対し、「裏側」の国家安全保障会議が存在する。米国ワシントン18番街に、「リヨン・ドール」という名前の高級フレンチ・レストランがある。ここで毎晩、行われて来た会食には、大統領、副大統領、閣僚、国家安全保障会議のメンバー、国防総省の主要メンバー、財界人達が集合する。米国の経済的実権を握るロックフェラー等の経済人が、堂々と、ホワイトハウスに集まり政策を「決める」訳には、いかない。毎晩、そのような集会を、ホワイトハウスで行えば、マスコミに叩かれ、大統領ではなく一部の財界人が米国の政策を決定している、と非難を受ける。そのため、「真の国家安全保障会議」の会場は、この「リヨン・ドール」に「移された」。このレストランで、大統領選挙、米国の閣僚人事、政策、軍事戦略の細部が、話し合われる。ロックフェラー等のような資金提供者を除外し、政策を決定する事は出来ないため、ホワイトハウスでは「本当の決定が出来ない」。この「リヨン・ドール」が、戦後60年間を通じ、事実上の米国議会であり、ホワイト・ハウスであった。この「リヨン・ドールの会食」を主催して来たのが、「キング・メーカー」ロバート・ラベットである。近年、ロックフェラーの権勢が衰え、ロシアン・マフィア、ロスチャイルド等の勢力が、米国政界でも強くなり、ロックフェラー「のみが支配者ではない」権力分散化が起こっている。そのため「新勢力の提案」で、ロックフェラー色の強い、この「リヨン・ドール」から、「影の国家安全保障会議」の会場は別のレストランに移された。こうした点に、「ロックフェラー帝国の終わり」が、如実に、滲み出ている。
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