2007/06/08

Google エリック・シュミット曰く「避 けられないものは避けられないのです。一時的に歩みを遅くすることはできるかもしれないが、そうすれば結局、最期を早めることになります」(『ウィキノミクス』)





第一に、著作権によって社会全体の利益が増加するという根拠はない。著作権の本質は、複製を禁止して独占を作り出すことなので、ほんらい経済的には好ましくない。それが許されるのは、独占によって情報生産のインセンティブを作り出す効果が独占の弊害を上回る場合に限られるが、そういう結論は、理論的にも実証的にも証明されていない。知的財産権(独占権)の経済効果は負であるという研究もある。またオープンソースをみれば明らかなように、複製を禁止することはインセンティブを高める必要条件ではない。特許の認められなかった初期の金融工学において爆発的なイノベーションが生まれたことは、よく知られた反例である。最近では、金融技術に「ビジネス方法特許」が適用されるようになったため、法務費用が激増してイノベーションが減退している、というのが実証研究の示すところだ。第二に、著作権は近代的な財産権ではなく、もとは封建的特権(privilege)の一種だった。Wikipediaにも書かれているように、コピーライトは18世紀初頭に、ギルドが版木(copy)を独占することを王が許可する特権としてできたものだ。近代社会でギルドが廃止されたとき、コピーライトも廃止すべきだったが、これを特許権と一緒に「財産権」になぞらえて延命させたのだ(それが財産権ではないことは前述の通り)。近代社会に封建的特権が残ることは少なくない。その一例は、レント(地代)である。レントは不労所得だから、財産権を「労働の対価」とする近代社会の原則の例外であり、労働のインセンティブを低下させる。したがってレントが地主に帰属することは(効率の点でも公正の点でも)望ましくないが、地主の既得権はきわめて強いため、現代に残っているのである。同じことは、著作権にもいえる。著作権を死後50年から70年に延長することで著作者のインセンティブが増加する効果は期待できないが、子孫や仲介業者の独占が延長される効果は明らかだ。これ以上、著作権を強化することは、JASRACやテレビ局のような不在地主の特権を拡大し、情報生産を阻害するだけである。この特権は国際的なギルドで守られているので、改革することはきわめて困難だが、長期的に考えれば、300年前につくられた特権がそう長く続くとは思えない。磯田道史『武士の家計簿』は、江戸時代末期の武士の封建的特権が形骸化していたことを実証している。武士は自分の「領地」を見たこともなく、その家禄はほとんど貨幣で支払われていた。物々交換を仲介する武士の特権が貨幣によって「中抜き」されていたため、明治維新によって封建的特権が廃止されても、あまり抵抗がなかったのだ。同様に、デジタル技術によって複製コストがゼロに等しくなった時代には、情報を独占する仲介業者は中抜きされ、著作権は形骸化するだろう。最終的には「不在地主」は消滅し、知的財産権(という名の特権)は廃止されて、「小作人」として搾取されてきた本源的な情報生産者=情報消費者に富が配分されるシステムが実現すると考えられる。
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