2008/03/07

道徳の再興を説き、道徳教育の実現を画することが、どうしてできようか。国家も法律も超えた道徳を提起することもできるが、その道徳が国家とぶつかり法律と対立したら、どちらが勝つか。権力を背後に持つ国家が勝ち、法律が勝つことは自明だろう。三浦和義というトリックスターが暴き出した近代社会の亀裂は深い。




三浦は日本では事件の中核の銃撃殺人に関しては無罪判決が確定している。これとともに、自分を殺人鬼扱いにしたマスコミを訴えた数百件の名誉毀損裁判でほとんど全部勝利し、賠償金や謝罪広告を勝ち取っている。さて、アメリカの裁判で三浦がクロとなったらこれが覆るか。賠償金を返還させ謝罪広告の取消広告を執行できるか。否。なぜならば三浦の一連の行動は完全に合法的だからだ。完全に合法的で、同時にあまりにも不道徳である。それで何の矛盾もないのが我々の住む近代国家、法治国家である。三浦は身を持ってそれを証明したのだ。
 そうすると、保守主義者よ、かかる近代国家、法治国家で、道徳の再興を説き、道徳教育の実現を画することが、どうしてできようか。国家も法律も超えた道徳を提起することもできるが、その道徳が国家とぶつかり法律と対立したら、どちらが勝つか。権力を背後に持つ国家が勝ち、法律が勝つことは自明だろう。
 三浦和義というトリックスターが暴き出した近代社会の亀裂は深い。

呉チエイ
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