2008/03/20
ポリティカル・コレクトネス。「邪悪な人間はときどき邪悪でなくなることがあるが、愚鈍な人間はつねに愚鈍なままである。」
ポリティカル・コレクトネスによる用語制限によって私たちが得たものと失ったものはどちらが多いのか、ときどき疑問になる。自分の語法に伏流するイデオロギー性を自己検閲する習慣を定着させたという功績はむろん高く評価されねばならぬ。だが、PCの難点は「自分の語法に伏流するイデオロギー性を自己検閲する習慣に伏流するイデオロギー性」の検出にはほとんど知的リソースを備給しないという点にある。わかりにくくてすまない。要するに、PC的なことを大声で言うやつは総じて頭が悪いということである。
頭が悪いことと邪悪なことではどちらがより有害であるかについては意見の分かれるところであるが、アナトール・フランスはこの論件についてたいへん適切な言葉を残している。「邪悪な人間はときどき邪悪でなくなることがあるが、愚鈍な人間はつねに愚鈍なままである。」
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿