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今日の週刊文春によると、その当時、三浦容疑者は白石千鶴子さんと同棲していた、と出ていた 白石千鶴子さんのロス行き(海外旅行は初めてだったらしい)を知らなかったというのは不自然 それと、平成 6年 3月31日判決での証言 > まず、Fは、ロスアンジェルスのリトルトーキョーにある「浪花寿司」に板前として勤めていた時にAと知り合った者であるところ、同人は、昭和五六年三月上旬ころシティーセンターモーテルでAと会って、そこで殺人を持ち掛けられた旨供述しており、そのときの具体的状況は、「シティーセンターモーテルの一室で、Aは、犯罪論や完全犯罪について話をした後、『君と組んで犯罪請負の仕事をしようと思う。君はピストルを撃ったことがあるか。人殺しをやらないか。』と持ち掛けてきた。私が、相手や方法、報酬について訪ねると、Aは『君の全然知らない人だ。接点がないから証拠もない。』、『武器は自分が用意する。ピストルもあるし日本刀もある。』、『人殺しに金額はない。絶対に捕まらないなら小額でもやる価値はある。でも相当の金にはなる。』などと言った。また、A は、『ある人が僕の目の前で殺されて、今、砂漠に埋められている。』などとも言っていた。」
事件 1 三浦和義氏関連事件 よみがえるジェーン・ドゥ・88・・・1
2008年(平成20年)2月22日殺人などの容疑で米ロサンゼルス市警は米自治領サイパン島で三浦逮捕ロサンゼルスの司法関係者によると、カリフォルニア州法では凶悪殺人など重罪に時効はなく、古い事件でも一定の証拠がまとまれば逮捕することがある。この事件は、ロサンゼルス市警の強盗殺人課の未解決事件専門チームが担当している。三浦和義氏(以下敬称略)関連事件では「ジェーン・ドゥ・88」事件から追跡する必要があります。以下時系列で並べて見ます。1977年(昭和52年)秋に、白石千鶴子(当時34歳)は結婚していたが、別居1978年(昭和53年)2月(3月?)から設立された「フルハムロード」の取締役になった。 1979年(昭和54年)3月20日に前夫と離婚が成立。1979年(昭和54年)3月29日に出国し、5月4日に遺体となって発見された。三浦は3月27日に出国して、ロスに滞在しており、4月6日に帰国している。 5月4日、ロサンゼルス郊外のサンフェルナンドバレーで黒いビニール袋に入った、ほとんどミイラ化した女性の全裸死体が付近の住民によって発見された。ロス郡検死局は死因については鑑定不能とし、「ジェーン・ドゥ・88」“Jane Doe 88”と名付けた。1981年(昭和56年)8月13日、ロス市内のホテル「ニューオータニ」に雑貨輸入店「フルハムロード」社長の三浦和義と妻の一美が宿泊していた。三浦がロビーで商談中、一美は部屋でチャイナドレスの仮縫いをしていたが、部屋にきた東洋系の女がいきなりハンマーで一美の後頭部を殴打した。その後、一美は救急車で病院に運ばれ、数針を縫った。 11月18日、ロス郊外の駐車場で三浦(当時34歳)とその妻の一美(当時28歳)が2人の男に銃撃された。いきなり一美の頭部を撃ち、次に三浦の左脚を撃ち、1200ドルを奪って逃走したという。三浦は1週間の軽傷で済んだが、一美は弾丸が前頭葉に達しており、高度障害の「植物人間」になった。1982年(昭和57年)1月、一美はアメリカ軍の病院飛行機で帰国し、東海大学付属病院に入院した。 3月~7月、一美が「植物人間」になったことで、三浦に生命保険会社3社からそれぞれ最高限度額が支払われ、総額1億5500万円になった。(1)第一生命=災害死亡時2倍保障・3000万円(1979年12月/結婚を契機に加入)(2)千代田生命(現・AIGスター生命)=死亡時2倍保障・5000万円(1981年1月/長女誕生を契機に加入)(3)AIU=海外旅行障害保険最高限度額・7500万円(1981年11月/旅行するため加入) 11月、一美が意識が回復せずに死亡。1984年(昭和59年)、1月~3月『週間文春』に全7回にわたり「疑惑の銃弾」と題して、三浦夫妻に対する銃撃事件についての記事が連載された。1984年(昭和59年)3月29日、「ジェーン・ドゥ・88」の身元が日本から届けられた歯型の写真が決め手となって白石千鶴子と断定され大騒ぎになる。 3月30日 世間での騒ぎの渦中、愛人であった「良枝」さんと入籍 5月8日、千鶴子の銀行口座に前夫から慰謝料430万円が振り込まれる。 5月16日、『サンケイ新聞』が「一美さん殺しを頼まれた!」と題したスクープを発表。一美に対する殴打事件で「東洋系の女」の元女優の矢沢美智子(当時24歳)が告白をした。世間の騒ぎはピークに達する。 5月18日~6月12日の間に、計42回にわたり、三浦がキャッシュカードで千鶴子の銀行口座から総額は426万5000円のを引き出し。 7月 矢沢はスクープ発表通りの「上申書」を警視庁に提出。1985年(昭和60年)9月11日、警視庁により三浦和義(当時38歳)が一美に対する殴打事件での殺人未遂容疑で逮捕された。翌12日、矢沢美智子(当時25歳)も殺人未遂容疑で逮捕された。 10月4日、矢沢の弁護人の希望により東京地裁は「三浦と矢沢は分離公判」と決定。1986年(昭和61年)1月8日、東京地裁は妻の一美に対する殴打事件で矢沢美智子に求刑・懲役3年に対し、懲役2年6ヶ月を言い渡した。 1月14日、東京地裁で三浦の初公判が開かれた。 1月21日、矢沢は東京地裁での懲役2年6ヶ月とした判決を不服として控訴した。 7月14日、東京高裁は一美に対する殴打事件で矢沢に対し控訴棄却とした。矢沢は上告せず、懲役2年6ヶ月が確定した。1987年(昭和62年)8月7日、東京地裁は一美に対する殴打事件で三浦和義に懲役6年を言い渡した。三浦は控訴。1988年(昭和63年)10月20日、三浦夫妻に対する銃撃事件で三浦和義と実行犯とされた元駐車場経営者の大久保美邦(よしくに)が殺人容疑で逮捕された。1994年(平成6年)3月31日、東京地裁は三浦夫妻に対する銃撃事件で、大久保に対しては「実行犯と断定するには証拠不充分」として無罪を言い渡したが、三浦に対しては実行犯を「氏名不詳」としたまま、無期懲役を言い渡した。 6月22日、東京高裁は三浦に対し一美に対する殴打事件で控訴棄却とした。1998年(平成10年)7月1日、東京高裁は三浦夫妻に対する銃撃事件で、大久保に対し再び無罪を言い渡し、三浦に対しては、逆転無罪を言い渡した。 9月16日、最高裁は三浦に対し一美に対する殴打事件で、1、2審判決の懲役6年を支持し、上告を棄却した 11月、三浦は宮城刑務所に収監されたが、未決勾留日数が差し引かれるため、実際の刑期は約2年2ヶ月だった。2001年(平成13年)1月17日、三浦が宮城刑務所を出所。2003年(平成15年)3月5日、最高裁は三浦夫妻に対する銃撃事件で2審で無罪とした判決を支持し、検察側の上告を棄却した。これで三浦の無罪が確定した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ちなみにここでは三浦氏を一連の事件の犯人であると仮定したとしての議論を展開しますので、御了承下さい。以上列記してみると、フルハムロード設立当時のいきさつに事件の全容を解く鍵があると思えます、以後この辺を中心に考えていきます。
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2008/03/01
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