近代の核家族からは「伯叔父」が排除された。同性を引き裂く二つの原理の対立から、父が代表する父性原理と母が代表する母性原理の性的対立の中に子どもたちは移管された。性間の葛藤は同性間の二原理の葛藤よりもはるかに処理しやすい。というのは、人間は自分がどちらの性に帰属しているかを知っており、どちらの性の原理に従うべきかを知っているからである。後期資本主義社会になったら、母たちがまでが男性原理を内面化するようになってきた。権力や年収や威信や情報というそれまで男性にとってしか価値ではなかったものに女性たちも親族の存続よりも高い価値を見出すようになったのである。これが現代の子どもの置かれた状況である。かつての子どもたちは父と伯叔父と母という三人の先行世代、三つの原理の併存による葛藤のうちに生きていた。今の子どもたちは「権力と金が価値のすべて」という単一原理のうちに無矛盾的に安らいでる。このようなシンプルな原理の下では子どもたちは成熟できない。だから、成熟することを止めてしまったのである。
ソンデー
医学都市伝説さんが反論?
2007年11月 8日 「親族の基本構造」だって? [医学・科学関連, 社会・歴史]
時々読ませて頂く、気鋭のホニャララ学者(なんでホニャララかというと、私はこの人の専門を全く知らないからである。人文科学オールラウンダー、文化系のランス・アームストロングってことでいいのかな)、内田樹氏のブログに、「親族の基本構造」についての解説が書かれていた。
大学院で「家族論」をやっている内田氏が、「日本人の家族論の多くがサル学の知見に依拠しており、精神科医たちまでが霊長類の『延長』として家族を とらえている」ことに驚き、レヴィ=ストロースの知見に配慮すべきだという意見から、「親族の基本構造」の簡単な紹介をするつもりになられたという。
自分では知っているつもりでも、ちゃんとした学者に簡潔にまとめて貰うことで、とんでもない誤解を免れたりすることはある物で、まことに有り難い解説だとは思うのだが、その前提に、なぜか私らの業界の不勉強ぶりが出てくるのがもう一つ解せない。
大体、「霊長類の『延長』として家族をとらえている」精神科医たちって、一体誰のことなんだ?30年ぐらい前、確かにわが業界でも家族論みたいな言 説が流行ったことはある。結局、手ひどいトンデモ説が蔓延するばかりであったため、皆懲りてしまって、その後は家族を話題にする時は世間的常識でお茶を濁 すか、遺伝学説レベルの話ぐらいしかしなくなったと思っているんだが。
まさか、思春期危機のただ中にある少年に、「君は今、ボス猿=父親に挑戦する若猿の立場にいるんだ。君の気分変調は、マウンティングへの屈辱感なん だね」なんて説明する精神科医がいるとは思えないけどねぇ。まあ、企業などで、上司の意を受けて抑うつ社員の排除をはかるセコイ人事担当なんぞと出くわす 時に、「このマウンティング野郎が」と、内心で無意味に罵る語彙豊富化には役立っているが、実際に口に出すことはない。
レヴィ=ストロースの「親族の基本構造」について言えば、私もこの人の知見には誰もが一度は触れるべきだと思うし、私の業界に置いても有用性は高い 物だと思っている。ただ内田氏は、トロブリアンド島やチュルケス族のような社会に、何か普遍的な価値があるかのような書き方をされているのが不思議。あく まで特別の条件の下で、生産力も人口も飛躍的発展はしないことが前提の社会で、あのような比較的固定的な関係性が取り出されるというだけのことである筈だ が。
近代化された社会では、いわゆる「未開」社会で見られた布置構造自体が大きく変質している。言ってみれば経済的効用性に、その原理がほぼ一本化され ているわけだ。過渡的な構造を伝統的価値観として守ろうとする部分も存在するだろうが、そう立派なこととは思えないし、それを守るのが人の道で、成熟の証 のように言われたら、へそ曲がりの私など、「壊れる物は壊れればいい」と言いたくなるばかりである。
もちろん、人間の多様なあり方の、一つの参考にはなるとはおもう。それはサル学だろうが、ハイイロガンの観察であろうが、全く同じであろう。個人的 な意見を言えば、過去へのノスタルジアであれ、倫理の再建であれ、一度人間は完全に個人に解体されたうえで好みの道を歩めばいいと思うだけ。
0 件のコメント:
コメントを投稿